Sitting in the Fire Review (Japanese)
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Sitting in the Fire Review (Japanese)
「紛争の心理学」の書評
読売新聞2001年11月25日
東京工業大学 上田紀行
二十一世紀の最大の問題が「紛争」であることが誰の目にも明らかになってきた。冷戦という二大勢力の戦いは終結したが、その後に顕在化したのは、民族、宗教、人種、性などの「差異」に基づく、数え切れない数の紛争である。それはより深刻なものだ。なぜならばその紛争はわれわれの内面に深く根ざしており、単なる表面的な政治的解決だけでは解決しないからである。
著者は、臨床心理学者でありながら、個人に対する臨床を超え、中東、南アフリカ、北アイルランド、スラム街から戦闘地域まで、自ら紛争地域に赴き、当事者を招いて「ワールドワーク」と呼ばれるワークショップを行ってきた。しかし、憎悪が憎悪を呼び、殺人や戦争が行われている地域で、いかにしてそのようなことが可能になるのか。
「プロセス指向心理学」と呼ばれるミンデルの方法は、その場で起こっている出来事に隠された意味に着目するものだ。例えば人種差別への寛容について微笑みながら語る白人の物腰に、人種的優越感が隠されている。無力感を語る人の握り締められた拳が他者への強い呼びかけのきっかけになる。ワークショップの場は怒りと悲しみ、衝突と葛藤の連続となるが、それはうわべだけの和解を目指してはいない。復讐の無意味さを高所から説くよりも、復讐にしか救いを求められない当事者の苦しみを共有すること。各人が深い傷を自覚し、それを成長の契機とすることが重要なのだ。
「テロリストと向き合う」という一章がある。実際にテロリスト達ともワークを行っている著者は、巨大なシステムによって自分が抑圧されて自分が守れず、痛みの声に誰も耳を傾けてくれないとき、他者を脅したり傷つけたりするテロリストは誰の中にも表れるのであり、その「内なる」テロリストの自覚こそが必要だという。それは互いをテロリストと呼び合い、異端視することで暴力の悪循環を招いている今こそ、注目すべき視点であり、実践すべき営為であるはずだ。
信濃毎日新聞2001年12月2日
大阪府立大学 森岡正博
とても重要な本だ。対米テロ事件と同時に刊行されたこの本は、まさに、テロリズムとどのようにして戦えばよいかが書かれている。そしてその答えとは、テロリズムを生み出した主流派の人々が、みずからの作り出した抑圧のシステムを自覚し、みずからの姿勢を深いところから変容させることなのである。
ミンデルは言う。社会の中には、力と余裕を与えられた主流派の人々と、彼らによって自由の幅を狭められ、もんもんとしている少数派の人々がいる。このときに、不正なやり方で自分たちの自由が奪われていると感じた少数派の人々が、主流派の人々に態度を変えて欲しいと迫るときの、最後の手段が、「テロリズム」なのである。
なぜ、彼らがテロにまで走ってしまうのか。それは、主流派の人々が、自らが行使している権力や抑圧について、ほとんどまったく自覚していないからだとミンデルは言う。主流派の人々は、いろんな巧妙な方法で少数者をがんじがらめにしておきながら、自分たちはこの上なく公正で、慈愛に満ちて、平和主義者で、平等主義者なのだと信じている。
だから、彼らは、少数者がテロに走る原因が自分たちの側にあるかもしれないということを、けっして気づこうとはしない。そして、テロが起きたときに、自分たちが突然攻撃されたと感じ、被害者意識を募らせる。そして、テロへの報復を開始するのである。
ここに、世界中で起きている紛争の悲劇の根本があるとミンデルは考える。彼は、この事態を打開するために、世界各地で、主流派と少数派を同じ場所に集めて、互いの立場を理解するためのワークを行ってきた。本書に収められている、そのワークの様子は感動的だ。
主流派に求められることは、自らの特権や力を否定することではない。そうではなくて、みずからが特権や力を付与されていることにはっきりと気づき、みずからの行為の影響範囲と結果について自覚をすることだ。それだけで、少数派の怒りは解け始める。主流派も対応して自己変容を始める。すばらしい本である。